来季J2ガイナーレ鳥取に入団が内定し、特別指定選手として今季ガイナーレ鳥取の練習に参加し、公式戦に出場をしている安藤由翔。先日の水戸戦ではJ初得点、フル出場を果たした時を振り返るのと同時にこれまでのサッカー人生、サッカー観を深く振り返った。

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―7月20日Jリーグ第25節水戸戦でのJ初得点おめでとうございます。MFとして出場していた安藤さんがなぜ、右サイドウイングの位置にいたのですか
試合の流れの中で、攻撃参加をして自分の位置に戻ろうとしたらFWの選手が自分のポジションにカバーリングしてくれていました。なので、自分のポジションに戻らず前線にいました。

―FWの住田貴彦選手のスルーパスにオフサイドぎりぎりの絶妙なタイミングで飛び出しました。相手のDFラインは気にしていましたか?
実は、相手DFラインを意識していませんでした。住田選手にボールが入った時、運良ければオフサイドにならず飛び出せるかなと思っておもいっきりいきました。自分自身、相手DFを見ていなくて、とにかくオフサイドの笛が鳴るまで最後までやりきろうと思っていました。それがゴールになってよかったです。

―あのシーントラップが素晴らしく、それが得点に繋がりました。
トラップがすごくいいところにいって、うまく落とせたかなと思います。あとはアウトサイドで思いっきり打ちました。イメージ通りのシュートでした。実は、シュートする直前にボールがリバウンドして浮いているとチームメイトからいわれましたが、気づきませんでした。

―決めた後とても喜んでいましたね
ベンチから「ナイスシュート!」と言われたり、小村徳男監督からもすぐ「ナイスプレー!」褒めていただいたので、ありがとうございます!って言われたので頭下げました。

―初出場の第23節東京ヴェルディ戦から水戸戦まで今の状況をどのように感じていますか
東京ヴェルディ戦ではわずかな試合時間でしたが、第24節横浜FC戦では前節よりも多くの試合時間に出場しました。それでも、もっと試合に出たいところと思っていたなか、水戸戦では起用されました。結果、自分にとってチームにとって監督が使いたいと思われてることで、それの期待に応える得点になって嬉しかった。

―横浜FC戦では「もっとゆれる」とおっしゃっていました。それは水戸戦で発揮できましたか?
シュートにいけていないのは横浜FC戦で感じていました。高校の恩師と話したりする中で、シュートを打て、と言われシュートを打ちたいと思った。とにかくチャンスがあったらと試合に意気込んでいました。チームとしてはその試合二本目のシュートでしたが、自分としてはJ初シュートが初ゴールとなりました。

―古井監督からは「安藤は何かもっている」とおっしゃっていましたが、何かもってるんですか?
何か持っているということはないと思います。周りの選手の支えがないとできなかったゴールだと思います。住田選手が自分の動きだしを見てくれて、自分のポジションにFWの選手がカバーしてくれた結果だと思います。あの住田選手のパスも最高でした。


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―裏に抜けるプレーは今後にいきますか
裏に抜けるプレーはたぶんチームにとって、必要なことで勢いがつきます。大学でも裏に抜けるプレーを意識しました。

―大学サッカーとプロのサッカーの違いはどのような部分ですか
一番はフィジカルとスピードです。あと、判断の速さも違います。常に考えて、頭を使わないといけません。まだまだ。自分のプレーは感覚でやっている部分が多いのでそこが一番違うことですね。

―スターティングメンバーであることはいつ把握しましたか
一週間の流れで、大体把握しました。紅白戦を行ったのですが、自分がスタメン組のチームでプレーしていたのでおかしいなーと思っていました。さすがに、公式戦でスタメンはないかなと思っていたら、前日くらいにわかりました。その日は全然寝れなかったです緊張で。試合の前のミーティングでスタメンと言われて今までにないくらい緊張しました。

―ピッチ上で緊張しましたか
試合にはいったらとにかくやるしかないと思いました。

―鳥取に来て、スパイクを変えましたよね?
はい。天候が悪いときの取り替え式のスパイクを持っていませんでした。(※取り換え式とはスタッドの食い込みがよく、グリップを重視しても足への負担が少ないため、スタッドの本数は少なく、細く、長い傾向があるスパイク)東京ヴェルディ戦も横浜FC戦も天候が悪いため、東京ヴェルディ戦の前にスパイクをチームのスタッフさんと一緒に買いに行きました。東京ヴェルディ戦のウォーミングアップ時に、滑らない!と感じました。足の負担も少なく履きやすいです。東京ヴェルディ戦前の練習では滑っていたので、すごく苦労しました。水戸戦では固定式のスパイクで、90分戦いました。試合前のウォーミングアップ時には芝生の状態確認して固定式の大学の試合で着用しているadidas、F50を着用しました。


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―ガイナーレのチームには慣れましたか
FWの岡本達也選手、同志社大学からガイナーレに来たDFの三浦修選手にはとてもお世話になっています。実信憲明選手も仲良くしてもらっています。尾崎瑛一郎選手には、水戸戦の前にスターバックスコーヒーに連れて行ってもらって話をしていました。水戸戦ゴールして、ハイタッチをしたとき「この後もスタバな!」といってもらって面白い方です。

―ガイナーレ鳥取といえば、野人こと岡野雅行選手ですね。
岡野さんにもとてもよくしてもらっています。岡野さんがスパイクをメーカーに発注して、岡野さんが27cmのスパイクを履くのですが、26.5cmを間違えて送ってきてもらってしまったらしく、今度26.5cmのスパイクをくれるそうです。野人と刺繍の入ったスパイクなので、自分がもらっていいのかなーという思いと、貴重と感じますね。

―ガイナーレ鳥取のとりぎんバードスタジアムの印象はいかがですか
まず、観客があんなに入るところで試合をしたことがいなので、驚きですね。スタジアムの雰囲気はとても好きです。試合の前日は、スタジアムの周りが田んぼということもあり、とても静かです。ただ、横浜FC戦では今季最多の約6500人が入った時は凄かったです。三浦和良選手目当てということもあるかもしれませんが。とにかくサポーターは熱いですね。

―鳥取の地は慣れましたか?
ホテル暮らしが続いているので、練習後にチームメイトにご飯にさそって貰う時ぐらいしか外に出歩きませんね。休養をするか、自分の時間を作っています

―話は変わりますが、プロ入団を決めた時の周りの反響はいかがですか
親にもまったくは、話をしていませんでした。一人で決めました。自分が鳥取に行くと決めたときに、古井監督に電話しました。周りからは、よかったなーという風に反対する人はいませんでした。

―サッカーと出会ったのはいつごろですか
小学校一年生の頃ですね。お兄ちゃんが近くのところでサッカーをしていて付いていって見に行く感じでした。サッカーやりたいとも思わず、近くの小学校のところでやっていたので遊具で遊ぶ方が好きでした。そうしたら、監督の方がサッカーをやらないかと誘ってきたのです。サッカーしようかなという感じでサッカーを始めました。それでも、練習に行くけど、結局遊具で遊んでました(笑)母親には、行くの無駄だからやめてって言われました。
それでも、小学校二年生なったらサッカーするようになりました。小学校一年生の10月ころからやって、友達も増えて、それでサッカーを徐々にやるようになりました。その時は、センターハーフ、今でいうボランチでプレーをしていました。きたボールをひたすら前線にパスを出していたので、ドリブルも出来でしたがパスも好きでした。

―小学生の時に大会に出場したりはしましたか?
小学校5年生の時に、フジパンカップに出場して、関西3位になりました。キャプテンらしくないキャプテンで出場しました。準決勝で、当時の京都パープルサンガ(現京都サンガF.C)に0-3で完敗しました。そこで印象が強いです。悔しかったです。

―その時あこがれる選手はいましたか?
今もそうなんですが、あこがれる選手はいません。ただ、リオネル・メッシ(現FCバルセロナ・アルゼンチン代表)香川真司(現マンチェスター・ユナイテッド 日本代表)の立ち位置は憧れます。世界で活躍して、子供たちに夢を与えるあの立ち位置。やっぱり持っているものが違うので、真似してもできません。自分は自分で前に行く推進力とかを育てていきたいと思います。

―中学校ではサッカー部に入部しかなかったのですか?
中学校にサッカー部がなかったです。また、小学校のチームメイトとサッカーやりたいといいう気持ちもあって、クラブチームに行くしかない状況でした。ライオスユースに。

―中学校時代のサッカーというのは
指導者が中学校2年生の時に変わって、より攻撃的でドリブルをメインとするサッカーになりました。そこから、ずっとドリブルが好きです。

―そこが安藤さんのプレイスタイルの原点ですか?
そうですね

―中学生の時に印象に残っていることはなんですか
とにかく、そのサッカースタイルになってパスが通用しなくなったことですね。

―高校時代はいかがですか
高校入試の時に、推薦で周りより早く入学する高校を決めてしまいました。周りが勉強をやっている中ずっとサッカーやっていて、それが高校一年目の時に生きた気が強います。
僕等が一期生だったので上の学年の人がいませんでした。なので、大会に出ても常に上の学年とやるので、相手がすごく強かったです。かえってそれが、レベルアップに繋がったと思います。

―印象に残っていることは何ですか
高校二年生のとき、全国大会に出場しました。第16回Jリーグユース選手権大会では、一回戦では柏レイソルユースに1-9で負けました。悔しいというか、こういうチームになりたいと思いました。その時の柏レイソルは黄金期で、工藤壮人(柏レイソル・日本代表)指宿洋史(バレンシア・元U-23日本代表)山崎正登 (柏レイソル)酒井宏樹(ハノーファ・日本代表)など黄金期でした。その大会は、街クラブとJリーグのユースとは別の予選があって、九州代表、東海代表のチームにプレーオフで買って出場することが出来ました。
高校三年生の時は、クラブユースで京都サンガと試合して、また1-3で負けてしまいました。それでも、Jユースに勝ちたいという思いで、冬までサッカーやっていましたが、夏ごろに骨折してしまいサッカーほとんどできず、最後の大会も悔しさが残りました。

―京都産業大学に入学した経緯を教えてください。
スポーツ推薦は骨折していて、受けられなかったです。結局、どこも受けていなくて、推薦で早く決めたいと思って当時関西学生サッカーリーグ1部チームだった京産大に入学をしたいと思いました。

―入学と同時に二部に落ちてしまいました
二部になってしまって、間違ったと思いました。周りに比べ、出だしが遅れるのは嫌でした。自分がレギュラーとって一部に上げようと思っていましたが、自分もAチームに上がったと思ったらすぐにBチームになっていて、思い通りにならなかったですね。二年生から試合に絡めるようになりました。一年生時に、Iリーグで全試合に出場して、Iリーグでも相手が強いよ頃もあるので個人的なレベルアップになりました。

―試合に出始めた3年次生の時はいかがでしたか
一部に昇格して、開幕スタメンになり、自分のプレーを出せるようになってきました。関西選抜にも選ばれるようになってきましたた。コンスタントに出ることもできました。デンソーカップにも出れたり、非常に大きかったです。

―先輩の姿はいかがでしたか
先輩のチームに対する思いは凄かったですけど、そんな中で自分も引っ張っていこうと思いました。

―当時の美濃部直彦HCから得たものはなんですか
凄く細かい人でした。ファーストタッチ、ポジショニング、パス、一本でも細かく指導されました。もし、美濃部さんがいなかったら、そういった部分に拘らずプレーしていたかもしれません。そして、上達もしなかったと思います。
自分はメンタルも弱い方ではないと思いますが、とにかく負けず嫌いです。それでも、大学に入ってからはそれを表現できませんでした。試合に出場して負けたら悔しい。メンタルがより一層強くなったのはもちろん、それを自己表現できるようになりました。それが結果的にプレーにもつながっていると思いました。

―京産大のリーグ戦は苦戦が続いています
苦戦が続いているのは、勝てる試合を落としているからだと思います。それは実力だから受け止める部分は受け止めたいと思います。ただ、ユニバーシアードの関係もあって今季は前期あと2試合残しているのは京産大にとってとてもラッキーだと思います。チームは今長期のオフで、また後期が始めると思いますが、合宿などをとおして、サッカーがよくなると思います。そういうことを考えれば京産大にとっては前期残り二試合残っているのはラッキーです。
開幕では関学に敗れて、本当は開幕戦勝って勢いに乗りたかったです。一戦一戦、切り替えていくしかないです。

―関西選手権は大体大に敗れてしまいました
総理大臣杯を狙っていたので、とても残念でした。それでも、感じたのは、絶対に勝てない相手ではなかったということです。先制して勢いづきたっかったです。

―負傷しながらの強行出場しました
4回生だから引っ張りたいという気持ちがありました。ハーフタイム前に、負傷しましたが監督におねがいをして出場をしました。インカレは少し、順位的に難しいと思ったので、何が起こるかわからない、一発勝負のトーナメントで全国に出たかったです。

―これまでのベストゴールはありますか?
去年の後期の大産大戦のミドルシュートです。思いっきり狙っていったと思います。もう一つも、前期の大産大戦です。自分の好きなドリブルからのカットインで転びながらもキックフェイントからも泥臭いゴール。そういうことが持ち味なので好きなゴールですね

―プロを意識し始めたのはいつごろですか
高校の時です
セレッソ大阪の練習に参加したのがきっかけです。中学生の時には、無理だと思っていましたが、体ができてきて、意識し始めました。

―今後の安藤さんの課題は何ですか
運動量、フィジカル、技術は伸ばさないといけないです。まだ、そういった部分がプロでは通用しないと思います

―プロで通用した部分は何でしたか?
個人での打開の部分や、気持ちの面です。その意識を常に持っていて、それをプレーにつなげる部分は通用しましたし、持ち味です、

―安藤さんにとってJリーグとは
サッカーを90分とおしてみません。見てもハイライトなので、そこまで影響はされていません。ただ、自分のすきなことを職業にして、それがJリーガーということです。

―ガイナーレ鳥取はJリーグに参入して歴史が浅いですが
周りのサポーターがとにかく熱いです。小さいクラブなので、周りの人の支えられているクラブというのは認識できます。そういった、面は鳥取の素晴らしいところだと思います。周りのクラブと比べるわけではないですが。
強化部長や、社長がJリーガー出身なので経験してきたことをやっている感じなので、不安とかはないです。そして、何よりもファンに愛されているクラブです。練習にも多くの人が見に来てくれるし、サインも多く書きました。

―最後に、5年後の自分の理想を教えてください
J1でプレーしたいです。Jリーグの中心選手となって、いきたいです。

<サッカー担当佐藤孝樹>